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着物の知識


帯について

結納の時、目録に男性から「帯料」、女性から「袴料」を渡す習慣から始まりました。昔は「帯」と言わず「タラシ」と言いました。男性は「貴女を帯の様に長く愛します。」という意味で、また、女性は男の腰廻りをガード、浮気封じの意味で送ったのかも知れません。
当時は帯でなく、紐を結びたらしただけだったのです。
腰に巻いた紐をお互いに交換して結び合う習慣があり、肉体を浄化する意味もあったそうです。
また、この紐を結び垂らす事により、悪霊を寄せつけないというまじないで、「魂結び」だとか、
古くは「産霊」(むすび)と当てていた様です。
その語源は陰と陽を和合して新しいものを創造するとか、新しい活動を起こすと言われてきました。
腰の紐を交換して結ぶことにより、男女がお互いの恋の約束を表したのです。
惚れあった二人が別れ際に、自分の腰の紐を相手に結ばせることにより、思いのほどを証したのです。
男性が旅に出るような場合、褌(ふんどし)の紐を解けにくく迷結びにして、一種の貞操帯によって自由を束縛したのは、浮気性の男性だからなのです。
今の帯結びが複雑で、しかも種類が多いのは、昔の呪術に根付いた民族の歴史だと思います。
そして現在の帯結びの「たれ」の部分は、腰紐のたらしの部分の名残からと思われます。
帯を胸高に締める様になったのも、お尻を大きく見せ安産を証明する目的もあったものと思われます。
小袖の発達と共に帯も著しく変化し、広帯に装飾性を求めてきたのは、桃山〜江戸初期(400年前)ですが、
キリシタン弾圧があり、細帯・紐がキリシタンと間違われる様になり、帯の巾が広くなり装飾性が重要なポイントになってきました。
「息子・娘」と言う呼び方も、「むすびひこ」「むすびひめ」の略で、男女の和合によって、生まれる新しい生命活動を意味し、万葉集にもいろいろの歌が読まれています。
「白妙の君が下紐我さへに、今日結びてな、逢はむ日のため」
お互いに結び合った紐は、次に逢うまで解くまいと言う意味で他の相手とは性の交渉をもたない事の誓いであります。
長い紐(帯)は命の象徴でもあり、厄年に長い物を贈る習慣は、身の浄化と共に無病息災を願う呪術であり、肉体の命と恋の命を意味しています。


帯贈の習慣

昔、山梨地方では嫁ぐ娘に、帯を沢山持たせる風習あったそうですが、娘を慕った男の人数を誇ったのです。末永く可愛がってほしい―非常な仕打ちをするといつでも連れ戻すとの意味があったようです。
山陰地方では、42歳の男の厄払いにお祝いをする習慣があり、これを初老祝いと言います。又、各地では42歳になったお祝いとして、ベルトやネクタイなどの長い物を贈る習慣も有りますが、長寿を願ってのことで、女の33歳の厄に帯を贈る習慣は今でもいくつかの地域に細々と残っています。
秩父地方では、厄年に粗末な帯を贈る習慣があったようです。厄が早く切れるようにとの意味。
帯裂きの儀式=夫が死亡した時、妻は自分の帯を切り裂いて棺に納めました。この様にして夫を亡くした妻は夫の情念を絶ったのです。
帯が着物より格が高いと言われる理由は、着物がおおむね情事に関わってきたのに対し、帯は信仰に関わってきたからといわれます。
恋多き女は帯の数を揃え、1本1本に好きな男の名前を付け、今日は誰のものを締めようかと思いながら、選ぶ幸せな時だったのでしょう。
着物はそんなロマンが現実の生活に同化してこそ、日本人の民族衣装と呼ぶのです。
長い紐は命の象徴でもあり、身の浄化と共に無病息災を願うまじないで、長い紐は肉体の命と恋の命を意味します。